近年、多くの企業で「人的資本経営」への注目が高まっています。人材を単なる「資源」ではなく、価値創造の源泉となる「資本」として捉え、投資を通じて企業価値の持続的な向上を目指すこの経営手法において、成功の鍵を握るのが「従業員エンゲージメント」です。しかし、その重要性は認識しつつも、「具体的に何をすればエンゲージメントは向上するのか」「人的資本経営とどう結びつくのか」といった疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
この記事では、人的資本経営と従業員エンゲージメントの基本的な関係性から、エンゲージメントを高めることのメリット、そして実践的な向上施策と企業の成功事例までを網羅的に解説します。
目次
人的資本経営と従業員エンゲージメントの重要な関係
人的資本経営とは、従業員の持つスキルや知識、経験を「資本」とみなし、積極的に投資することで企業価値を中長期的に高めていく経営手法です。この考え方において、従業員エンゲージメントは極めて重要な役割を果たします。なぜなら、従業員が自社に対して強い愛着や貢献意欲を持っていてこそ、企業が行う人材への投資が最大限の効果を発揮するからです。
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従業員エンゲージメントとは何か?
人的資本経営を語る上で欠かせない従業員エンゲージメントですが、その定義を正しく理解することが第一歩です。ここでは、エンゲージメントの定義と、混同されがちな「従業員満足度」との違いを明確にします。
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エンゲージメントの定義
従業員エンゲージメントとは、一般的に「従業員が企業の目指す方向性やビジョンを理解・共感し、その達成に向けて自発的に貢献しようとする意欲や熱意」を指します。これは、単に仕事にやりがいを感じている状態だけではなく、企業と従業員が同じ目標に向かって進む「パートナー」として、互いに成長し合える関係性が構築されている状態を意味します。エンゲージメントが高い従業員は、自身の仕事に誇りを持ち、企業の成功のために自身の能力を最大限発揮しようとします。
従業員満足度との明確な違い
従業員エンゲージメントとよく混同される概念に「従業員満足度」があります。両者は似ているようで、その性質は大きく異なります。従業員満足度は、給与や福利厚生、労働環境といった待遇面に対して従業員が「満足しているか」を示す指標です。これは、企業から与えられるものに対する受け身の評価と言えます。
一方で、従業員エンゲージメントは、企業の理念や目標への共感を土台とした、従業員の「能動的な貢献意欲」を示す指標です。満足度が高くても、必ずしも業績への貢献意欲が高いとは限りませんが、エンゲージメントが高い従業員は、企業の成長を自らの成長と捉え、主体的に行動します。
| 項目 | 従業員エンゲージメント | 従業員満足度 |
|---|---|---|
| 関係性 | 企業と従業員の双方向の関係(貢献と成長) | 従業員から企業への一方向の関係(待遇への満足) |
| 動機 | 企業のビジョンへの共感、仕事への誇り | 給与、福利厚生、職場環境などの待遇 |
| 行動 | 能動的・自発的な貢献 | 受け身的・指示待ち |
| 業績への影響 | 強い相関関係がある | 必ずしも相関しない |
なぜ今、人的資本経営でエンゲージメントが注目されるのか?
近年、従業員エンゲージメントの重要性が急速に高まっています。その背景には、企業経営を取り巻く環境の大きな変化があります。
「人材版伊藤レポート」での言及
2020年に経済産業省が公表した「人材版伊藤レポート」は、日本における人的資本経営の議論を本格化させる大きな転換点となりました。本レポートでは、持続的な企業価値向上を実現するためには、人材戦略を経営戦略と一体で捉えることが不可欠であるとし、その考え方を整理した枠組みとして「3つの視点・5つの共通要素」が示されています。
この「5つの共通要素」の一つとして挙げられているのが「従業員エンゲージメント」です。エンゲージメントは、単なる満足度や定着率ではなく、企業のパーパスや戦略への共感を基盤とした主体的な貢献意欲として位置づけられ、経営成果と中長期的な企業価値をつなぐ重要な指標であると整理されています。国が主体となってその重要性を明示的に提言したことで、エンゲージメントは多くの企業において、人事施策の一要素から、経営レベルで議論すべきテーマへと認識が高まりました。
さらに、2022年に公表された「人材版伊藤レポート2.0」では、こうした考え方を前提に、経営戦略と人材戦略をいかに同期させ、実践に落とし込むかに焦点が当てられています。特に、人的資本への投資やその可視化、従業員一人ひとりの成長と企業価値向上を結びつける取り組みの重要性が強調され、エンゲージメントは「測定・開示の対象」にとどまらず、「経営変革を推進するための起点」としての位置づけがより明確になりました。
このように、人材版伊藤レポートは、人的資本経営の概念整理にとどまらず、企業が人と向き合う姿勢そのものを問い直す指針として、2025年現在においても企業経営に継続的な影響を与えています。
出典:持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート ~
出典:人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~
人的資本の情報開示義務化
2023年3月期決算から、大手企業を対象に有価証券報告書での人的資本に関する情報開示が義務化されました。開示が推奨される項目の中には「従業員エンゲージメント」も含まれており、投資家が企業を評価する際の重要な判断材料となっています。企業は、自社のエンゲージメントの高さをアピールすることが、ESG投資などを呼び込み、企業価値を高める上で不可欠となっています。
出典:人的資本経営 ~人材の価値を最大限に引き出す~ (METI/経済産業省)
労働市場の変化と人材獲得競争
少子高齢化による労働人口の減少や、働き方の価値観の多様化により、人材の流動性は高まっています。現代の働き手は、給与などの条件面だけでなく、企業のパーパスへの共感や自身の成長実感、働きがいを重視する傾向が強くなっています。このような状況下で優秀な人材を獲得し、定着させるためには、従業員エンゲージメントを高め、「選ばれる企業」になることが企業の持続的成長の生命線となっています。
エンゲージメント向上がもたらす3つのメリット

従業員エンゲージメントを高めることは、企業に多くの具体的なメリットをもたらします。ここでは、代表的な3つのメリットについて解説します。
メリット(1):優秀な人材の確保と離職率の低下
エンゲージメントが高い企業は、従業員が自社に誇りと愛着を持っているため、離職率が低い傾向にあります。また、従業員が自社の魅力を外部に発信してくれる「リファラル採用」にも繋がりやすく、優秀な人材の獲得競争において優位に立つことができます。採用コストの削減と、組織力の維持・強化という両面で大きなメリットがあります。
メリット(2):従業員の生産性とパフォーマンス向上
従業員エンゲージメントと企業の業績には強い相関関係があることが、多くの調査で示されています。エンゲージメントの高い従業員は、自身の業務に情熱を注ぎ、より高い成果を出そうと主体的に行動します。その結果、個人のパフォーマンスが向上するだけでなく、チーム内の協力体制が促進され、組織全体の生産性向上に繋がります。
出典:職場での従業員エンゲージメントを向上させる方法 – Gallup
メリット(3):ESG投資における企業評価の向上
近年、企業の長期的な成長性を測る上で、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)を重視するESG投資が世界の潮流となっています。従業員エンゲージメントは、「S(社会)」の側面で従業員を大切にする企業姿勢を示す重要な指標です。エンゲージメント向上の取り組みを開示することは、投資家からの評価を高め、資金調達を有利に進める上でも重要な戦略となります。
| メリット | 具体的な効果 |
|---|---|
| 人材の確保・定着 | 離職率の低下、採用コストの削減、リファラル採用の活性化 |
| 生産性の向上 | 個人のパフォーマンス向上、チームワークの強化、イノベーションの促進 |
| 企業価値の向上 | ESG評価の向上、株価への好影響、ブランドイメージの向上 |
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従業員エンゲージメントを向上させる具体的な手順

従業員エンゲージメントの向上は、思い付きの施策を単発で行っても成果には繋がりません。ここでは、継続的にエンゲージメントを高めていくための基本的な4つの手順を紹介します。
手順(1):現状のエンゲージメントを可視化する
まずは、自社の現状を正確に把握することから始めます。そのために有効なのが「エンゲージメントサーベイ」です。パルスサーベイ(短期・高頻度)やセンサスサーベイ(長期・低頻度)といった調査ツールを活用し、従業員のエンゲージメントレベルを定量的に測定します。これにより、組織全体の傾向や、部署・役職・年代ごとの特徴を客観的なデータとして把握できます。
手順(2):課題を特定し改善計画を立てる
サーベイの結果を分析し、エンゲージメントを低下させている要因は何か、課題を特定します。例えば、「上司とのコミュニケーション不足」「評価制度への不満」「キャリアパスの不透明さ」といった具体的な課題が浮かび上がってくるでしょう。特定した課題の中から、最も影響度が大きく、改善効果が高いと思われるものに優先順位をつけ、具体的な改善目標と行動計画を策定します。
手順(3):具体的な施策を実行する
策定した計画に基づき、具体的な施策を実行に移します。重要なのは、経営層から管理職、そして一般社員まで、全社的に取り組むことです。管理職向けの研修を実施して部下とのコミュニケーションスキルを向上させたり、評価制度を見直して透明性を高めたりするなど、課題に応じたアプローチを行います。施策の目的や内容を従業員に丁寧に説明し、理解と協力を得ることも不可欠です。
手順(4):効果を測定し次の改善へ繋げる
施策を実行した後は、その効果を必ず検証します。再度エンゲージメントサーベイを実施し、施策実行前と比較してスコアがどのように変化したかを確認します。スコアが改善した点は成功要因を分析し、変化が見られなかった点や新たな課題については、その原因を探り、次の改善アクションに繋げていきます。この「Plan(計画)- Do(実行)- Check(測定)- Action(改善)」のPDCAサイクルを継続的に回していくことが、エンゲージメント向上の鍵となります。
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エンゲージメント向上施策の具体例5選

エンゲージメントを高めるための施策は多岐にわたりますが、ここでは多くの企業で効果が期待できる代表的な5つの施策を紹介します。
企業のビジョンやパーパスの浸透
従業員が「この会社で働く意義」を感じられるよう、企業のビジョンやパーパス(存在意義)を明確に示し、繰り返し発信することが重要です。経営層が自らの言葉で語りかける、社内報やイントラネットで共有するなど、あらゆる機会を通じて浸透を図り、従業員一人ひとりの業務と会社の目標が繋がっていることを実感させることがエンゲージメントの土台となります。
公正で透明性のある評価制度の構築
従業員が自身の貢献を正当に評価されていると感じることは、エンゲージメントに直結します。評価基準を明確にし、評価プロセスを透明化することで、従業員の納得感を高めることができます。また、評価結果のフィードバックを通じて、従業員の成長を支援する姿勢を示すことも大切です。
1on1ミーティングによる対話の促進
上司と部下が定期的に1対1で対話する「1on1ミーティング」は、信頼関係を構築し、エンゲージメントを高める上で非常に効果的です。業務の進捗確認だけでなく、部下のキャリアの悩みやプライベートの状況にも耳を傾け、個人の成長を支援する場とすることで、部下の孤立感を防ぎ、組織への帰属意識を高めます。
多様な働き方の選択肢を提供
テレワークやフレックスタイム制度、時短勤務など、従業員がライフステージや価値観に合わせて働き方を選べる環境を整備することは、ワークライフバランスの向上に繋がり、結果としてエンゲージメントを高めます。従業員一人ひとりの事情に配慮する企業の姿勢が、従業員の企業への信頼と愛着を育みます。
福利厚生の充実と健康経営の推進
住宅手当や育児支援といった福利厚生の充実は、従業員の生活を支え、満足度を高める上で重要です。さらに、従業員の心身の健康を経営的な視点で支援する「健康経営」を推進することも、エンゲージメント向上に寄与します。従業員を大切にする企業の姿勢が伝わり、安心して長く働きたいと思える職場環境を実現します。
まとめ
この記事では、人的資本経営の成功に不可欠な従業員エンゲージメントについて、その重要性から具体的な向上施策、成功事例までを解説しました。従業員エンゲージメントの向上は、一朝一夕に実現するものではなく、自社の現状を正しく把握し、PDCAサイクルを回しながら継続的に取り組むことが重要です。本記事で紹介した内容を参考に、貴社の企業価値向上に向けた第一歩を踏み出してください。