コラム
人的資本経営とは:求められる背景や取り組み方をわかりやすく解説
一般的に「資本」というと、お金のことをイメージする人が多いでしょう。確かに間違いではないのですが、近年人材を資本として考え経営に応用する「人的資本経営」という言葉が登場し、情報開示が義務化される予定です。これは、ただ人材を大切にするという考え方とは根本的に異なるものであり、具体的な経営方針に落とし込めていない経営者も少なくありません。
この記事では人的資本経営の概要と、重視されることになった背景、国内外での人的資本の情報開示の状況や実践方法を解説します。
目次
- 1 【わかりやすく解説】人的資本経営とは
- (1)従来の経営「人的資源」との違い
- (2)今後、企業が求められるもの
- 2 人的資本経営が重視されている背景
- (1)働き方・キャリアなどの多様化
- (2)ESG投資への関心の高まり
- 3 人的資本に関する情報開示
- (1)ISO30414(人的資本に関する情報開示ガイドライン)とは
- (2)人的資本に関する情報開示と人的資本経営の関連性
- 4 国内外の人的資本の情報開示の動き
- (1)日本での動き
- (2)海外での動き
- 5 人的資本経営を実践する方法
- (1)経営戦略と人材戦略の連動
- (2)現状把握と施策の考案
- (3)施策の実行と検証
- 6 人的資本経営の取り組み事例
- 7 まとめ
1. 【わかりやすく解説】人的資本経営とは
人的資本経営とは、その名のとおり人材を資本として投資の対象とし、人材の価値を高めることで企業評価を持続的に高めようとする経営方針のことです。持続可能な企業経営を行うためには必要不可欠な項目とされています。
人的資本は、資本の中でも「無形資本」(無形固定資本)に分類されます。人間そのものではなく、従業員がもつスキルや経験のことを指すため無形扱いです。ほかの無形資本には知的資本や自然資本が、形がある資本を指す「有形資本」は財務資本や製造資本があります。海外では有形資本より無形資本への投資が多くなっており、形のないものに投資をする傾向にあるのです。
(1)従来の経営「人的資源」との違い
従来の経営では、人材を「人的資源」と位置付けて扱ってきました。重要であることには違いないものの、人的資源としてしまうと、その時点で従業員にかかるお金などはすべてコストとして扱われてしまいます。また、人材関係の業務がすべて人事部任せになってしまうなど、多くの問題をはらんでいるのです。
一方で「人的資本」と考えると、先述のとおり従業員にかかるお金は投資へと変貌します。また人材関係の部署が経営陣や取締役会に深くかかわり、イノベーションへのつながりも期待できるのが人的資本の考え方です。
わかりやすく言い換えれば、人材は終身雇用や年功序列で囲い込むものではなく、企業の成長のために欠かせないパートナーとして共依存の関係になると考えればよいでしょう。
(2)今後、企業が求められるもの
人材を資本と捉えて企業の評価の判断材料とすることが重視されるようになってきています。この考え方に対応した経営を人的資本経営と言い、経済産業省主導でさまざまな取り組みがなされているのです。企業の価値を判断するために、今後企業には下記のようなものが求められると考えられます。
- • 人的資本経営への取り組み
- • 人的資本の情報開示
2022年9月現在、パーソル総合研究所の調査では、重要性を理解しつつも具体的な指針の理解が低いことがわかっています。2022年中には新たな人的資本に関する情報開示の規定が公表されており、より求められるものが具体的になっていくでしょう。
2. 人的資本経営が重視されている背景
人的資本経営が重視されている背景には、次のようなものがあります。
- • 働き方・キャリアなどの多様化
- • ESG投資への関心の高まり
それぞれなぜ重視されているのかも合わせて解説します。
(1)働き方・キャリアなどの多様化
人的資本経営が重視されている背景のひとつとして、働き方・キャリアなどの多様化が挙げられます。パーソル総合研究所が行った「人的資本情報開示に関する実態調査」でも、重視しているキーワードの第1位が多様性となりました。
これ以外にも従業員の雇用形態も影響しています。昨今は外国人従業員や非正規雇用が増加しており、企業の人材構成が従来とは大きく異なっています。こうした状況下で、従来の人材資源の考え方ではなく、人材資本の考え方を持ち込むことで、それぞれが持つ価値を最大限に活用できるのではないかと期待されているのです。
(2)ESG投資への関心の高まり
もうひとつの背景として挙げられているのがESG投資への関心の高まりです。ESGとはそれぞれ「Environment(環境)」「Social(社会)」「Governance(ガバナンス)」の3つの頭文字を組み合わせたものです。ステークホルダーが企業を評価するためにチェックしている重要なポイントとされており、これらに投資する企業が増えてきています。
人的資本はこのうちの主に「社会」に含まれ、人材への投資状況として重要視されています。投資家からもこれらの情報を開示することが求められており、人的資本情報の積極的な開示の必要性は今後も高まっていくと考えられます。
3. 人的資本に関する情報開示
2018年12月にISO(国際標準化機構)が人的資本に関する情報開示ガイドラインとして、ISO30414を公開しました。これは人的資本の指標となる11領域49項目を明文化したもので、さらにこの下に58指標が存在します。ではISO30414とはどのようなものなのでしょうか。詳しく見ていきましょう。
(1)ISO30414(人的資本に関する情報開示ガイドライン)とは
ISO30414(人的資本に関する情報開示ガイドライン)とは、以下の11領域49項目からなる、人的資本を公開する際の項目のことです。すべてを情報開示する必要はなく、開示内容は企業の判断で決定できます。内容は次のとおりです。
領域 | 項目 |
コンプライアンスと倫理 | 1. 苦情の件数・内容 2. 懲戒処分の件数・内容 3. コンプライアンス・倫理についての研修を終えている従業員の割合 4. 外部関係者とのトラブル 5. 外部とのトラブルの種類とそれに対してのアクション |
コスト | 1. 総人件費 2. 外部人件費 3. 平均給与と役員報酬の比率 4. 雇用にかかる総費用 5. 採用1人当たりの費用 6. 採用にかかる総費用 7. 離職にかかる総費用 |
ダイバーシティ(多様性) | 1. 労働者の多様性(年齢、性別、障がいの有無、その他) 2. リーダー層の多様性 |
リーダーシップ | 1. リーダーシップに対しての信頼 2. 管理下においている従業員の数 3. リーダーシップの開発 |
企業文化 | 1. 従業員エンゲージメント・満足度・コミットメント 2. 従業員の定着率 |
企業の健康・安全・福祉 | 1. 仕事中の負傷、事故、病気による損失時間 2. 労働災害の件数 3. 労働災害による死亡者数 4. 研修を受講した従業員数 |
生産性 | 1. 売上、EBIT、従業員1人当たり利益 2. 人的資本に関する利益率 |
採用・異動・離職 | 1. 各ポジションの候補者数 2. 雇用当たりの質 3. 空きポジションを埋めるまでの期間の長さ 4. 重要な空きポジションを埋めるまでの期間の長さ 5. 将来に対する現状の人材充足度 6. 内部充足度 7. 重要なポジションの内部充足度 8. 重要なポジションの割合 9. 重要なポジションの空き割合 10. 内部移動率 11. 従業員の層の厚さ 12. 離職率 13. 重要なポジションの従業員の離職率 14. 退職の理由 |
スキルと能力 | 1. 教育費用 2. 教育活動にかけている時間数・参加率 3. 労働者のコンピテンシーの比率 |
後継者育成計画 | 1. 後継者の有効率 2. 後継者のカバー率 3. 後継者の準備率 |
労働力確保 | 1. 総従業員数 2. フルタイム・パートタイムそれぞれの従業員数 3. 外部からの労働力 4. 休職者数 |
(2)人的資本に関する情報開示と人的資本経営の関連性
ISO30414がつくられた背景には、企業価値の中で人的資本に対する位置付けが変わったことがあります。2018年に公開されたISO30414は、投資家や企業のほか、ステークホルダーに対して活用できるものです。
投資家は人的資本をひとつの指標として投資先を判断しており、それに応じた情報を開示することで多くの支援を得られる可能性があります。また、社内の状況を見渡して定点観測を行う際の見える化の役割も持っています。企業の内外を問わず有効に使用できるひとつの指標として、人的資本経営に欠かせない存在と言えるでしょう。
4. 国内外の人的資本の情報開示の動き
人的資本の情報開示については、日本国内と海外で異なる動きをしています。以下の順に動向を解説します。
- • 日本での動き
- • 海外での動き
(1)日本での動き
日本では2020年9月に経済産業省が「人材版伊藤レポート」を公開したことで重要性が高まりました。この報告書は「持続的な企業価値向上と人的資本に関する研究会」座長である伊藤邦雄一橋大学名誉教授の名前を取って名付けられています。
この報告書を皮切りにして日本国内でも人的資本経営に関する議論が加熱し、2022年5月には「人材版伊藤レポート2.0」も発表され、より具体的な内容に落とし込むために事例や内容が組み込まれました。
2021年に東証がコーポレートガバナンスの内容に人的資本を意識した項目を盛り込み改訂したことを受け、情報開示が義務化されるのではないかと言われています。ただし認知そのものは広まっているものの、環境が整っているとはまだ言い難い状況です。
(2)海外での動き
海外では、日本より早くから人的資本の情報開示の重要性が叫ばれていました。2018年には先述のISO30414が国際標準化機構によって策定されています。欧米の一部企業で早くも情報開示が始まったのです。2年後の2020年8月には米国証券取引委員会(SFC)が上場企業に対する人的資本の情報開示を義務化しました。
この一連の流れを受け、日本国内でも同様の動きがみられるようになります。東証がコーポレートガバナンスに人的資本の項目を追加した背景にも、米国証券取引委員会の判断が関係しています。
5. 人的資本経営を実践する方法
人的資本経営を実践するための進め方は、下記の通りです。
(1)経営戦略と人材戦略の連動
(2)現状把握と施策の考案
(3)施策の実行と検証
東証によって義務化されれば、すべての企業がこの手順を踏まなければなりません。よく理解したうえで人的資本経営を実践に移していきましょう。
(1)経営戦略と人材戦略の連動
人的資本経営を実践するために必要なことが、経営戦略と人材戦略を連動させることです。
例えば企業DX化を促進したいという経営戦略がある場合、人材戦略でデジタル人材を確保する必要があります。これほど単純でなくても、経営戦略と人材戦略を切り分けて考えることはできません。経営戦略の中でも特に優先順位が高いものから課題を明確にし、それに基づいた人材戦略を立てることが重要です。
(2)現状把握と施策の考案
経営戦略と人材戦略の連携が終わったら、次のステージに移ります。自社の現在地はどこか(As is)と目指すゴール(To be)を明確にし、そのギャップを定量的に把握しなければなりません。
具体的には、策定した人材ポートフォリオと現状にギャップが生じることがほとんどです。外部環境の変化が著しい現代ですが、ギャップがあると先にわかっていれば、それを解消しつつ後の施策につなげることができます。
(3)施策の実行と検証
施策の精度を高めるために、PDCAサイクルを回しましょう。PDCAとは「Plan(計画)」「Do(実行)」「Check(評価)」「Action(改善)」の頭文字を組み合わせたもので、これを繰り返しながら継続的に業務管理・品質管理を行う改善方法です。
人的資本経営に関わらず、多くのビジネスシーンで採用されているため、知っている人も少なくないでしょう。施策実施後に定期的なチェックと改善を繰り返し、より効果的な施策を考え実行していくことが重要です。
6. 人的資本経営の取り組み事例
人的資本経営の実践のために、どのような企業がどのような取り組みを行ったかという事例が「人材版伊藤レポート2.0」に記載されています。そのうちの1社、伊藤忠商事株式会社(以下、伊藤忠)の事例を見ていきましょう。
伊藤忠は「人的資本投資に関するKPIと資本の拡充策を体系化」することを目的に取り組みを実施。人的資本の重要性を明確化するとともに、人的資本の拡充策とそれに関連するKPIを明示しました。
競争を勝ち抜くためには、従業員一人ひとりの労働生産性を高めねばならず、社員の健康増進や、やりがいを追求する必要があるとしています。「日本一良い会社」を長期目標に据えており、答えはないものの進展していると手ごたえを感じているとCAOも回答しています。
「人材版伊藤レポート」では大手企業の取り組みしか記載されていません。しかし、企業規模にかかわらず、持続的に成長するためには、人的資本経営は欠かせない視点であると言えます。
7. まとめ
人的資本経営は、今後、企業の生き残りを考えるうえで無視できないファクターです。人材の扱い方が従来と異なることから、戸惑いを隠せない企業もあるでしょう。しかし、本記事で解説した手順に沿って実施をすれば、導入自体は難しいものではありません。導入後の運用に慣れない面も発生するかもしれませんが、PDCAを回しながら長期的に取り入れていくことが重要です。
中川崇(なかがわたかし)
田園調布坂上事務所代表。広島県出身。大学院博士前期課程修了後、ソフトウェア開発会社入社。退職後、公認会計士試験を受験して2006年合格。2010年公認会計士登録、2016年税理士登録。監査法人2社、金融機関などを経て2018年4月大田区に会計事務所である田園調布坂上事務所を設立。現在、クラウド会計に強みを持つ会計事務所として、ITを駆使した会計を武器に、東京都内を中心に活動を行っている。
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